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たまてぼっくす

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いつもの三階に戻る 「十二夜」

初日(7/7)からどう変ったか、楽しみに出かけてきました。
一番違ったのは劇場の雰囲気。初日は、誰もどんなものか知らないので、固唾を飲んで待ち構えている感じでした。あと、客層も、「演劇、詳しいぞ」っていう雰囲気の人が多い感じで、7/14の本多劇場に近かったです。一等席最前列に、なんか万年筆とパイプが商売道具っぽい感じの人が座ってるのが鏡に映って見えたりして。
で、今回は、リラックスしたいつもの雰囲気に近く、後のふたりづれが「これからどうなるの?」「わかんない」なんて言ってて、ちょっとホッとしたり。
掛け声は、初日は大向こうさんが大勢。今回は、除幕は二人でちょっと心細い感じだったのが、次の幕から慣れた人が加わって、安心感が出ました。わたしもちょっとかけましたが、じゃまにならない程度って感じで。ほんとは、五代目とか七代目とかかけたかったんですが、できませんでした。
松緑への掛け声が多く、しかもほとんど「紀尾井町」。
この二人にまかせておけば、という感じの安定感を出していた高島屋、三河屋がかかったのと自分でも一応かけられたのがうれしい。普段敵役が多くて、難度の高いお二人ですが、大ファンです。

初日はさすがに探りながらって感じと、緊張感がびしばし出てましたが、今回は演じるのを楽しむ雰囲気が伝わってきました。良い意味で演技がこなれて、全体が熟成した感じ。特に菊五郎さんの動きに自在感がでて、いい感じでした(一番楽しそうだったかも)。
亀治郎さんの大車輪は相変わらずでしたが、深みが出て、新技(?)もたくさん出しつつ、狂言回しとして一歩下がった存在感に。
菊之助さん、男装をしてるのについ女が出ちゃう演技が、初日は技能を見せるって感じだったのが、役の気持ちでついそうなってしまう、という風になって、感情移入しやすくなっていました。
芝居の展開も緩急が出ていたと思います。でも、上演時間が短くなった訳ではなく、やっぱり幕間は忙しかった。

出演された鍵盤楽器奏者、に稽古など興味深い話や写真が載っています。
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by urasimaru | 2005-07-30 22:57 | 歌舞伎 みた | Comments(0)

耳を傾ける人 『馬と話す男』モンティ・ロバーツ

ロバート・レッドフォード監督主演の、『モンタナの風に抱かれて』という意味不明の邦題の映画(吹かれてと間違われる事が多い)があった。原題は『ホース・ウィスパラー』。
テレビで見たのだが、美しい映画だった。草原を馬で走る長いシーンはすばらしい。この映画は原作『ホース・ウィスパラー』(ニコラス・エヴァンス)の過激にドラマチックかつ濃厚な人間関係を整理し、衝撃的ラストも穏やかにしたらしい。

「ホースウィスパラー」という言葉は、最近変なところで妙な使われ方をしているらしいが、「馬にささやく人」という意味。
昔は暴力で馬を屈服(ブレーク)させる方法が普通だった。 それに対し、馬本来の性質を利用し、馬に苦痛やトラウマを与えないで調教する方法(ホースウィスパリング)が、近年になって注目され始めている。

ここまでは前書き。どうもすいません。

『馬と話す男』モンティ・ロバーツ を読んだ。

著者、モンティ・ロバーツは「元祖ホースウィスパラー」で、上記の小説および映画に登場する調教師のモデルとされる
と紹介されがちだが、

「小説のモデルとして自分の名前を使う事は許さないし、映画の方の技術指導も、もちろん引き受ける気はありませんでした」と本人は語っている。

「馬の心に傷を与えてはならない、押さえ付けてはいけない、痛みを与えてはいけない」という彼の大事な信条が破られているからだ。

この映画のあとで、実際のホースウィスパラーのドキュメントで見た。しろうとの私から見ても、映画はドラマ性を高めるために重大な誤解を与えると思う。。。

さて、馬と共に育ったモンティは、ロデオで使うムスタングを捕まえる為、野生馬の行動をじっくり観察する。その結果、「馬語」を収得し、鞭でたたいたりせず、しかも短時間で馬を馴致する方法を見つけだす。

だが、昔気質の父はその実演を見て激怒し、十代のモンティを鉄鎖で叩きのめした。また、インチキという誹謗中傷を避ける為、長い間このすばらしい技術は人に見せられる機会はなかった。

数々の不遇や妨害に遭いながら、父親が克服できなかった暴力の連鎖を断ち切り、ついに成功と名声を打ち立て、馬と人の関係を変えたばかりではなく、47人(出版当時まで)もの、多く問題を抱えた養子たちを癒し、育んだロバーツ夫妻の人生の豊さは、おそらく馬からもらったものだ。

それでも人生はバラ色じゃないらしい。
ついに和解できず、今でもおそらくしこりを感じている父との関係、過去の事件、人を弄ぶ心を病んだ富豪、凶暴すぎて接触不可能な種馬、人生は完全じゃないと肩をすくめるしかないエピソードに、著者の人間としてのリアリティと正直さを感じた。

原題はTHE MAN WHO LISTENS TO HORSES(馬の話を聞く男)。
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by urasimaru | 2005-07-27 22:56 | | Comments(0)

植物は電磁波を吸収しているさぁ

電磁波。電気と磁気が相互に作用して発生するエネルギーの波。ここで脱落したなあ。

ところで、「電磁波を吸収する植物」ってなんじゃらほい。

そういえば、「可視光は目に見える電磁波」だったなあ。。

光は電磁波の一種です。人間の目に感じる波長の電磁波が光であって、可視光と呼んでいます。X線・赤外線・紫外線などは可視光ではありませんが、電磁波の一種です。

様々な物質は、それを構成する分子や結晶がそれぞれ特有の波長の電磁波を吸収します。例えば,植物の葉に含まれる葉緑素(クロロフィル)は可視光では青と赤の光を強く吸収し,緑の光はほとんど透過する性質を持つため、植物の葉に太陽光のうち、緑の光のみが反射(一部透過)し,結果として緑色に見えます。

ここまででとりあえず納得しておこう。

リンク

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by urasimaru | 2005-07-23 22:53 | いろいろ | Comments(0)

歌舞伎の「幕」いろいろ

今月の歌舞伎座「十二夜」のセットは鏡張りなので、最後に定式幕(歌舞伎揚げの袋にあるような三色の幕)を閉めている人が映って見えます。体重をかけて押す様な感じで、かなり重そう。
歌舞伎座の定式幕は、黒を中心にして向かって右側がか黄色、左側が萌黄色。国立劇場は左右が逆。歌舞伎座は守田座の顔を立てるためにそうなったそうです。国立劇場は「特に訳はない」けど市村座と同じ。
関西など他の劇場はどうなんだろう?
「仮名手本忠臣蔵」通し上演の際は、上演時間前に、幕前にユーモラスな「口上人形」が出て、口上を述べ、その後、47回の柝を打ちながら定式幕をゆっくり開け、「大序」がはじまります。ただ、実際には歌舞伎座の横が長過ぎて47回きっかりではないそうです。ま、そういう気分で。

定式幕の他に、機械で上下する緞帳(どんちょう)もあって、記憶では富士山、桜、紅白梅、月に鳥、海だったと思います。これらの絵は有名な日本画家が原画を書いていて、幕間に緞帳を一通り見せる「緞帳披露」があります(でもごはん食べてたり買い物していて最近見てない)。

大きな襲名披露では、俳優に送られた名入りの幕が出る事があります。○○丈江という文字と、役者や演目にちなんだ模様が描かれていて、これのチェックも襲名狂言の楽しみの一つ。勘三郎襲名では、歌舞伎座の3ヵ月公演で毎月違う幕が出ていました。大阪松竹座ではまた違う幕が登場していますね。
この幕を入れる桐の箱がロビーに飾られていますが、実は歌舞伎座の場合(しか知らない)畳んでも箱に入らないそうです。大きな役者さんの家は蔵が必要だなあ、とか思ったりします。代々のお宝や資料もあるだろうし。

劇の中で効果をあげる為に使われる幕もあります。「浅葱幕」というライトブルーの幕は、江戸では昼芝居が一般的だったので、空=空気をイメージしているらしいです。一瞬に舞台転換する方法として江戸時代の人が考えたんでしょう。きっかけとともにこの幕を落す(両側からヒモを引っ張る)と、乱闘シーンの真っ最中だったりするわけです。あと、黒幕は夜の場合。「夜」という設定でも歌舞伎の舞台ではたいてい照明全開。そんなとき、後ろを黒幕で隠しておく事があります。で、いざエンディングの時に、後ろの黒幕を落して、野原や山並などの広々とした景色がぱっと現れ、役者さんが見得を切って止まり、絵図面となって、拍手と掛け声の中で、幕。スカッとする演出です。
能、狂言からうつした演目の場合、下手に揚幕が使われますが、五色のこの幕は実は「色の順番がでたらめ」で、本家とは違うことを表しているそうです。
参考文献「 歌舞伎、「花」のある話 」小山観翁
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by urasimaru | 2005-07-21 22:51 | 歌舞伎の雑談 | Comments(0)

食塩よりも純粋な物質

「手のマッサージ実演」というのにひっかかってしまいました。
塩みたいな粒がたくさん入っている、薄ピンクのペーストみたいなものを手にくっつけられて、摺り合わせろという。
えー自分でやるのー?揉んでもらえる期待で鴨になったのに。

水で洗ったらすべすべしましたわ。
モノは悪くないのかも。
でも、セールストークがすごすぎ。

曰く。

@普通のシオにはニガリ成分が入っている。
@ニガリ成分は豆腐を固めるのに使う。
@故に肌のタンパク質にも悪い。
@これは普通のシオとは違うんです。

エプソムソルトとかですか?
@エプソムソルトってなんですか?

食塩ですか?
@これは普通のシオとは違うんです。

NaClですか?
@NaClよりも純粋な物質です。

@これは、浸透圧が高いので油によく溶ける。皮下脂肪とか頭皮の油に効く。
@普通のシオと違って結晶が丸いので、肌を傷めない。

頭がくらくらしてきたので、逃げました。

注 エプソムソルト (硫酸マグネシウム/MgSO4・7H2O)。美容、健康のためバスソルトとして使われる。
注 食塩=塩化ナトリウム=NaCl。結晶は正六面体(サイコロ型)。

たばこと塩の博物館塩関係ページ 
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by urasimaru | 2005-07-19 22:51 | いろいろ | Comments(0)

83戦33勝、2着15回3着13回 / シービスケットの本

「世界恐慌に苦しむ1938年、マスコミをもっともにぎわせたのはルーズベルト大統領でもヒトラーでも、ムッソリーニでもなかった。ルー・ゲーリックでも・クラーク・ゲーブルでもない。その年、新聞がもっとも大きく紙面を割いたのは、脚の曲がった小さな競走馬だった。
馬主は自転車修理工から身を起こした西部の自動車王、チャールズ・ハワード。謎めいた野生馬馴らしの過去を持つ寡黙な調教師、トム・スミス。片目が不自由な赤毛の騎手、レッド・ポラード。馬の名は、シービスケット。これは、非運の名馬と男達の奇跡の物語である。」

ようやく「シービスケット あるアメリカ競走馬の伝説/ローラ・ヒレンブランド」と読み終わった。映画は私としては珍しく映画館で見た。映画では馬を撮影する技術や、出演している本職のジョッキーの仕草などに熱中していた。
わかりやすくまとめられた映画の原作であるこの本は、慢性疲労症候群のため今も読み書きに不自由している競馬ジャーナリストが4年かけて書いた素晴らしい本だ。
冗長といわれる前半の、社会背景の描写が私には面白かったそれがなければ、
「無数のシービスケットグッズが売り出された-玩具、記念のゴミ箱、二種類のオレンジ…。ホテルからクリーニング店、ユーモア雑誌にいたるまで、ありとあらゆる業種がこの馬を広告に使った。酒場のスロットマシンの脇にはシービスケットの名前を着けたゲーム機まであり、その種類は少なくとも九つにおよんだ。」本文より
という現象の原動力がわからないから。

当時の競馬には愕然とさせられた。その前の八百長時代はどうやら脱出したようだが、フェアプレーなんて言葉は辞書にないワイルドなレース展開、力石(あしたのジョー)の減量が可愛く思えてしまうほどの過酷で無謀な減量、保証なんて全くない労働条件(本の最後の方でようやくジョッキー組合と救済保険ができる)。

レースの描写は圧巻。競馬の見方が変った気がする。

感想を一言で言うと、「タフ」。

多量な情報を整理する時間をとるためと、読む楽しみを引き延ばす為にしばしば中断して他の本を読んだりした。
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by urasimaru | 2005-07-17 22:50 | | Comments(0)

イギリス人のユーモアセンス/加藤健一事務所『ヒーロー』

加藤健一事務所vol.60 『ヒーロー』
作/ アラン・エイクボーン 訳/ 小田島 恒志 演出/ 加藤 健一

はい、めずらしく新劇(って言うし)です。でも、加藤健一事務所は私が初めて自腹を払って見たお芝居だし、人生に大きな影響も与えている存在です。

サ−・アラン・エイクボーンはイギリスを代表する喜劇作家で、アメリカのニ−ル・サイモンと並び称されるほど彼の地では有名だそうです。

原題はMan of the Moment。マンオブザイヤーとかあるけど、それがモーメントになってると捕らえていいと思います。

かつてヒーローともてはやされた退屈な男・ダグラス(加藤健一)と、
現在テレビで活躍するカリスマ的人気スター・ヴィック(上杉祥三)。
そして、2人を再会させたテレビレポーター・ジル(加藤忍)。
その再会こそが衝撃のストーリーの幕開けであった…!!

そして、舞台となるのは地中海沿岸、ヴィック所有のプール付き別荘 ---
というのがチラシの文句。

実はヴィックは、17年前に銀行に押し入り、行員の女性の顔に手酷い傷を負わせた元強盗。
刑期を勤めあげ、自伝の出版からのし上がって現在はテレビスター。元ファンだった妻と、使用人を雇って優雅に暮らしている。
一方ダグラスは、当時銀行員で、銃を構えたヴィックに突進して、一時“ヒーロー”として扱われたが、無謀な行動が結果的に被害者の女性を負傷されたと言われ、「過去の人」に。
その後、当の女性と結婚し、妻(劇中には登場しない)は事件のトラウマを持ち続けているものの、地に足のついた平穏な生活を幸せに送っている。。。

プールは本水です。そして、ストーリーで重要な役目を果たします。
歌舞伎の夏公演で時々本水(本物の水)を使いますが、本多劇場の様な小劇場で本水の、しかも人が飛び込んだりするプールを作るのは大道具的に大変だったそうです。
幕切れに、歌舞伎風に「大道具!」とかけ声をかけたい気持ちでした。

翻訳劇って駄洒落の処理が大変だと思うのですが、ちゃんと消化できていました。
苦く重い人生の軌跡を描きながら皮肉に笑い飛ばす、いかにも英国風のブラックコメディで、好き嫌いは別れると思います。

「あなたを消す為にあなたに会いに来た」という主旨のダグラスの台詞が滲みました。

久々の上杉祥三との共演に引かれて見に行きましたが、女優陣の充実ぶりに感心しました。

あ、「女優」を久々に見たからかも。。。
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by urasimaru | 2005-07-14 22:47 | お芝居の感想 | Comments(0)

がんばれ地方競馬

ジャパンダートダービーを、ほとんどみることのないMXテレビで見た。
都合で返し馬からになってしまい、残念。
ユニコーンステークスを見て、次走で真価をチェックしたいと思わせた
JRAのカネヒキリが4馬身差の圧勝。今回、地方の勇であるシーチャリオットが故障で出られなったので、秋以降の対決が楽しみです。

ジャパンダートダービーは、春の3歳ダートチャンピオン決定戦として、大井競馬場のダート2000メートルで行われる競馬の競走で、JRAと地方競馬のダート巧者の若駒が集まる、ダート版日本ダービーにあたる。(Wikipediaより)

で、見ようと思って、今日になって情報を集めたんですよ。
でも、やふーでも競馬新聞のサイトでも、出走時刻がわからなかったので、ぐーぐるで検索しなければならなかったのです。馬柱、探したんですが見られてません。
MXテレビのプログラムが新聞のどこにでてるのかも苦労しちゃったし。

ちょっと、この状態はいかがなものか。

テレビはともかくとして、レースの位置付けとして、もっととりあげてくれよ。セレクトセールの話ばっかりやってないでさ>競馬マスコミ

思い出した。
この前MXテレビを見たのは、ゴールドアリュ−ルの最後のレースになった帝王賞だ。。。
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by urasimaru | 2005-07-13 22:43 | | Comments(0)

ぼろぼろになるまで読んだ本

子供の頃、ぼろぼろになるまで読んだ本があります。

以前調べた時は絶版だったのですが、復刻してるようなので、是非紹介したいと思います。現代のこどもたちにもお薦めです。いやホント。
 
昆虫おもしろブック —驚き!!ムシたちのとんでもない生き方
矢島 稔・松本 零士【著】
人間とはまったく生存様式の異なる昆虫の世界。
あらゆる環境にすみかを広げ、究極に進化したムシたちは、観察すればするほど面白い!松本零士の魅惑イラスト満載!ムシの存在がグッと身近になる本。(以上紀伊国屋サイトより)

とにかく面白いです。そして、すごくちゃんとしてます。多摩動物公園で昆虫園を開設した矢島先生(と呼びたい)のツボを心得た文章と、アブラの乗っていた頃の松本零士(失礼!)のイラスト(擬人化された昆虫で、武装した女性の蜂とか)が忘れられません。
買い直そうかな。
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by urasimaru | 2005-07-12 22:44 | | Comments(0)

蜷川歌舞伎「十二夜」渡辺保評

渡辺保の劇評が出ました。

彼の劇評を読むと、
*一等席ではそう見えるのかー
*なんだかわかんないけどなんかわかったような気がする
という感じです。あと、個人色が強い。それでムズカシイ立場になったりしてるらしい。まあ評論なんて勝手な事を言い合ってケンカするものでしょうけど。。。
文章がムズカシイので図書館にたくさんあってもあまり読まないのですが、いくつか彼の本は持ってます。

「NINAGAWA十二夜」、基本的に気に入ったらしいです。
読んではじめて知ったけど、休憩五十分を入れて四時間四十分だったのか〜。道理でゆっくりしてられないと思いました。でも、劇そのものは長く感じなかったけど。
「廻り舞台がユッタリしすぎていて、転換に手間取って退屈」とありますが、私にはその間合いがちょうどよく感じました。台詞が多いので、観たことを消化、整頓できる時間をもらったって感じでした。

ネタバレになりますが、「菊之助そっくりの仮面をかぶった吹き替え」を多用し過ぎ?えーっ良く似た吹き替えだと思ったけど、仮面だったの?三階だとわからなかった。最後の対面だけ吹き替え使ってるな、と思ったけど、他の部分もあったのかな?ナゾです。

「衣裳は歌舞伎でシェイクスピアの長いせりふをしゃべると、その背後にある表現のシステムの違いがあきらかになる。ああいう衣裳の身体は、身体自体が、歌い、踊る身体でなければならず、シェイクスピアの言葉、言葉の身体との違和感を否定出来ない。」「この対立は歌舞伎とシェイクスピアの違いを明確にして面白かったが、芝居としては退屈になる。」

私は相違点を提示してみせる興味深い試みだと思いました。仁とか肚を重視する歌舞伎の世界と、言葉が全てなたシェークスピアの世界をぶつけるのが今回の試みの目的のひとつで、ぶつかっている感覚が無くなっては、大事なものが抜け落ちる気がします。

「歌舞伎が衣裳の色彩、役者の動きによってなにものかを表現するのに対して、シェイクスピアは言葉が全て。この違いは役者の身体のあり方にまで及んでいる。」
聖書に「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。」という文章があります。
英語の世界では、言葉で言わない事柄は(表向き)認識されず、語り手は自分の表現することを聞き手に理解させる責任があると考えられているので、何度聞き返しても分かるまで説明します。
「あなたの言う事がわからない」というのは無礼では無く、理解を成立させる為の手順のひとつに過ぎません。「普通気を使ってそうかんがえるだろう」と思って、あとで文句を言っても、「言わなかったじゃないか」となります。
身体のあり方は椅子/正座の生活様式の違い大って気もしますが、とにかく違う世界を対立させず、西洋の話を歌舞伎の原作にしただけでは、あまり意味が無いんじゃ無いかと思います。歌舞伎の演技法をもっと活かす余地はあって、そこは課題だと思いますけど。

「松緑の安藤英竹が破天荒の面白さ」。破天荒、とはこう使うのか!と思いました。言葉のピースがぴたっとあった感じ。
松緑自身の「破天荒」へ繋がる一歩かも、と思いました。「紀尾井町」というかけ声が一度かかりましたが、今まで彼にかかったどの「紀尾井町」よりも相応しいと思いました。ちょっと今後注目してみたいと思います。

破天荒;唐代に荊州から進士の合格者が出ず「天荒」(文明未開の荒地)と呼ばれたが、劉蛻が初めて合格して、天荒を破ったと称したことから〕今までだれもしたことのないことをする・こと(さま)。未曾有(みぞう)。前代未聞。(大辞林)
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by urasimaru | 2005-07-11 22:41 | 歌舞伎について考えた事 | Comments(0)